青木旅山「おくのほそ道」最終章
清秋の旅 其の二、金沢~敦賀
■10月15日(歩15km)
金沢に戻り、早速歩き始めた。
令和版おくのほそ道は84日(往復移動6日を除く)となり歩行距離も1880kmに達した。
最後の大垣が10月31日で丁度100日の節目、歩行距離は2200km以上予測。

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戦災を受けなかったこともあり古い町並み残った金沢は、どこを歩いても国内外のの旅行者がいっぱい。
今まで歩いてきたところとは別世界のようだ。
芭蕉の句碑があるため訪れた静音(しずね)の小径も沢山の外国人が地図を見ながら歩いていた。

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ここには最古と言われる芭蕉句碑がある。

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左の句碑で、1755年とある。
「あかあかと日はつれなくも秋の風」

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芭蕉ゆかりの寺々を廻りながら、金沢一の高級料亭「つば甚」に着いた。
ここに句会を開いた少春庵、9日間滞在した宮竹屋が移築されていると知り、何とか見たかったが食事の予約も無く、この格好で入るには無理と断念した。

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休館日だったが、泉鏡花記念館前で立花北枝宅跡を見つけた。
この家で芭蕉の自信作「あかあかと日はつれなくも秋の風」が初めて詠まれた。

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ホテルに向かう途中、前田利家、妻のまつを祭神とする尾山神社に差しかかった。
ギヤマンをはめ込んだ和洋折衷の「神門」(国重文)が目を引き写真に収めた。

◆今日の句:
「塚も動け我泣声は秋の風」
「あかあかと日はつれなくも秋の風」
「秋涼し手毎にむけや瓜茄子」

◆行程:名古屋→金沢…寺町寺院群など〜宿
◆訪問地:芭蕉句碑、願念寺、一笑塚、つば甚、立花北枝宅跡、尾山神社
◆経費:交通費5,120円/昼食1,080円/買物5,742円/夕食840円/宿6,280円//計19,062円


■10月16日(歩35km)
さて繰り返しになるが、ここまでの旅は決して順風満帆ではなかった。
スタートして4日目の睡眠中の下血、5月後半には腰を痛め靴紐も結べない程に悪化、1週間以上苦しんだ。
6月の高熱は一晩で回復したが咳がどんどんひどくなり遂に鼓膜も破れドクターストップになった。
意気消沈して我が家に戻ったが、猛暑も重なり中々気持ちが上向かず悶々とした日々を過ごした。
8月原点に戻り、再び続きの旅に出たいと思う様になった。
猛暑が続き体力的な不安はあったが、妻からここは日本、駄目になったらタクシーで帰ればと言われ随分気が楽になった。
来月の誕生日で数えの77歳、喜寿を迎える。
趣味のレベルを遥かに超えたまさに限界への挑戦が続いている。

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約30km、どこにも立ち寄らずまっすぐ歩いた。
小松市に入り、予定通り歩を進めた。
途中で喫茶店は一軒も無く、イオンでやっとひと息つけた。

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梯(かけはし)大橋を渡れば小松の中心地に入る。
ホテルに向けて約20分、ラストスパートだ。
何だか体も軽くなったような気が?
そこではたと気が付いた。何とまぁ、背中のリュックが無いではないか!
中には薬や充電器など大切なものが入っている。焦って半ば走りながらイオンに戻った。
幸いそのまま椅子の上にあり安堵、日本で良かったと思った。
足腰だけでなく頭も相当疲れている様だ(笑)。

◆行程:金沢→手取大橋→能美市→小松泊
◆経費:昼食800円/飲物400円/夕食1,400円/温泉490円/宿5,000//計8,090円


■10月17日(歩26km)
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雲は厚いが青空も見られ、歩くには絶好の日和になった。
一路12km先の那谷寺(なたでら)に向かうも芭蕉と同じ痔に悩み、歩みもゆっくり(笑)。

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少し昼食には早いが、那谷寺の前の大きな茶屋に入った。
店主等との会話が弾み「おくのほそ道」を歩く人の話になった。
コロナ前はリュックを担いで歩く高齢者もいたが今は全く見かけないとのことだ。

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さて那谷寺は随分久しぶりだが、山門を潜り一歩足を踏み入れた瞬間、青苔が美しい庭園に目を奪われた。

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木々の間から見え隠する本堂(大悲閣)。

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自然に溶け込む三重塔も美しい。

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本殿の展望台より望む奇岩遊仙境。
「白山の石より白し・・・」が詠まれた情景だ。

◆今日の句:
「しほらしき名や小松吹く萩すすき」
「石山の石より白し秋の風」
「むざんやなかぶとの下のきりぎりす」

◆行程:小松→那谷寺→小松散策
◆訪問地:那谷寺、多太神社他
◆経費:飲物790円/昼食1,000円/入場料1,000円/バス代540円/温泉610円/夕食935円/薬1,188円/洗濯900円/宿5,000円//計11,963円


■10月18日(歩26km)
山中温泉の観光協会を訪ねたが、入居ビルが震災で立入禁止になっていた。

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少し暑くなり汗を拭きながら山中温泉に向かった。

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山中温泉に入った。
鶴仙渓遊歩道の南端に芭蕉堂がある。

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鶴仙渓を散策した。

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鶴仙渓からあやとり橋など散策、芭蕉の館、芭蕉が8泊滞在した泉屋跡、山中座そしてこおろぎ橋を歩いた。

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何度も来た山中温泉だが、何だか初めてのような気がする。
ここで世話になった今は亡き元社員の事ばかり思い出す。
芭蕉はここ山中温泉で、深川から一緒に旅してきた曽良と別れている。

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芭蕉も宿泊した加賀市の全昌寺に着いたのは門限ぎりぎり。

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拝観料500円とあり少し迷ったが、寺に入り庭師に声をかけて芭蕉らの句碑だけ写真に収めた。

◆今日の句:
「今日よりや書付消さん笠の露」
「山中や菊はたおらぬ湯の匂」
「庭掃きて出ばや寺に散柳」

◆行程:小松→那谷寺→山代温泉→山中温泉~鶴仙渓→大聖寺
◆訪問地:那谷寺、漆廊ギャラリー、芭蕉堂、芭蕉の館、泉屋跡、山中座、全昌寺
◆経費:宅配1,130円/バス代780円/飲物730円/昼食1,880円/夕食1,150円/宿9,630円//計15,300円


■10月19日(歩26km)
朝から風強く、土砂降り。

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小降りになったので大聖寺の関所跡を通り、越前の汐越の松に向かった。
「おくのほそ道」に書かれている汐越の松は、なんと芦原ゴルフ倶楽部の中にあった。

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立入禁止とあるので茶店で尋ねるとフロントへ行くように言われ、親切な若い娘さんがカートで案内してくれた。

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汐越の松は海岸近くにあった。
潮が満ちてくると枝まで海に沈むことから名付けられた。
西行ゆかりの地で、「おくのほそ道」にも書かれている。

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何と運が良いなと喜びながら北潟湖畔に沿って歩いていたが・・・。
まもなく土砂降りの雨に見舞われた。

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吹きさらしの中、強風で身体ごと飛ばされそうになる。
大きな声で気合を入れて歩いていたら車が横に止まった。
親切に感謝しつつ首を振り、我を張って歩いた。
このタイミングで入った一関、伊賀上野からのLINEがすごい力となり嬉しかった。

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大雨の中ゴルフ場から芦原温泉駅まで約10km歩き、列車とバスを乗り継いで福井県坂井市のホテルに着いた時は真暗だった。

◆行程:大聖寺宿→北潟湖→芦原温泉→坂井泊
◆訪問地:大聖寺藩関所跡、吉崎御坊、汐越の松
◆経費:飲物622円/昼食600円/交通費710円/夕食980円/宿10,450円//計13,362円


■10月20日(歩26km)
坂井市の丸岡城が私のおくのほそ道2000km通過地点となった。

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現存天守12城のひとつ、丸岡城(別名、霞ヶ城)。
合戦時に大蛇が現れて霞を吹き、城を隠したという伝説がある。
城内には日本一短い手紙の元祖「一筆啓上火の用心お仙泣かすな馬肥やせ」の石碑がある。

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「一筆啓上  日本一短い手紙の館」
毎年テーマに沿って40文字以内でコンテストがあるが、国内外から多数の応募があるという。

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芦原温泉駅まで歩いて戻り、鉄道で南下して福井へ向かった。

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福井駅では恐竜に迎えられた。
福井は日本で最多数の恐竜化石が見つかっており、恐竜王国の異名を持っているのだ。

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芭蕉が2泊した洞栽邸跡を探しながら、安政の大獄で処刑された橋本左内の菩提寺が目に入った。
偶然にも堂内で懐かしい詩吟の発表会が行われていた。
熱心な係りの方の説明を聞きながら、暫し素晴らしい朗吟に耳を傾けた。

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洞栽邸跡はその橋本左内公園内にあった。

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宿泊ホテルは九頭竜川に架かる福井大橋の直ぐ脇にある。
夕刻、寒さで少し震えながら長い橋を渡った。

◆行程:坂井→丸岡城→芦原温泉→幸橋→坂井宿
◆訪問地:丸岡城、橋本左内菩提寺、洞栽邸宅跡
◆経費:飲物150円/入館料200円/昼食267円/列車380円/夕食880円/宿7,440円//計9,317円


■10月21日(歩26km)
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秋晴れの清々しい天気に恵まれ、先ず松岡の天龍寺に向かった。

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芭蕉が宿泊し、弟子の北枝と別れたという天龍寺。

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芭蕉ルートを忠実に、天龍寺から永平寺へ約18km歩いた。

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深山幽谷の地、七堂伽藍の重厚感は曹洞宗本山に相応しいものだった。

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坐禅修行の道場として名高い永平寺。
学生時代の仲間と坐禅を組んだ事を思い出した。

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帰りに眠気覚ましに入った喫茶店のママと馬が合い、お客さんを交えて盛り上がった。

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美しい夕景を眺めながら帰った。

◆今日の句:
「物書て扇引きさく余波(なごり)哉」

◆行程:坂井→松岡→永平寺→坂井
◆訪問地:天龍寺、永平寺
◆経費:拝観料700円/昼食1,130円/バス代380円/飲物480円/宿7,670円//計10,360円


■10月22日(歩30km)
8時過ぎに越前市武生に向けて南下した。
最初から左脚のふくらはぎに痛みがあり、何度も屈伸を繰り返しロキソニンも服用した。
また2kmぐらい歩いた所で腹痛がひどくなり、我慢できず松屋に飛び込んだ。
何も注文せず、店に大変迷惑をかけたが危地を脱した。
金沢入りしてから1週間は順調だったが、暗雲が垂れ込めた。

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再び福井駅に向かった。
昭和11年の二・二六事件の岡田啓介首相は福井の出身だった。
なんとかザウルスが向かい合っている。
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鯖江まで19km歩いたら又ふくらはぎの痛みがひどくなり、何度も転びそうになった。
しばらくすると、歴史の道と書かれた案内板が随所に見られた。
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かつては浄土真宗十本山の一つ「鯖江の本山」誠照寺があり、寺町として栄えたそうだ。
御影堂、正門の四足門が見応えがあったので写真に収めた。
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鯖江から更に数km歩いて武生に向かった。
◆行程:坂井→福井駅→鯖江→武生泊
◆訪問地:誠照寺
◆経費:飲物480円/昼食1,180円/宿7,500円//計9,160円

■10月23日(歩30km)
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まずは武生にある紫式部公園へ。
源氏物語の作者紫式部は996年越前守として赴任した父と武生の国府で1年半過ごした。
平安時代の寝殿造りを模し、日野山を背景にした池や築山が配された庭園。

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紫式部も眺め、詠んだ日野山(795m)は越前富士と呼ばれ、千年過ぎた今も眼前にある。
散歩に来ていた女性が誇らしげに語るのが、心に残った。

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今にも雨が来そうな空、歩道も無い国道を足早に歩き、今庄に向かった。
今庄はそばの名産地、今庄そば道場の看板が目に入る。
昼前に遮るものが何も無い所で突然の大雨、風が来襲。

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小一時間で雨は止み、湯尾峠の芭蕉句碑に向かったが。。。
トンネル内を工事中の人などに聞いたが誰も知らず、ナビも機能せずあちこち歩き回ったが見つからず。

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宿に着き尋ねたが誰も知らず、関係者に電話を繋いで貰い尋ねたが私は耳が遠いし、相手は方言がきつく中々話が通じない(笑)。
最後は土地の古老が来て一緒に案内してくれた。
ここまで辿り着くのに三度行ったり来たり、雨で泥濘んだ山道で滑り尻餅をついたりした時、思わず泣笑。

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敦賀に向けては厳しい木の芽峠越えを覚悟していたが、古老など多くの方から熊、猪の出没が多く危険だと言われ断念した。

◆行程:武生宿→→今庄→湯尾峠→今庄宿
◆訪問地:紫式部公園、芭蕉句碑
◆経費:飲物340円/昼食1,400円/宿14,720円//計16,460円


■10月24日(歩21km)
私は芭蕉の奥の細道に加えて周辺の名勝地を歩きながら旅した。
羽黒山は再登したが月山、湯殿山は3年前登ったことでカットした。
場所が離れていて宿の確保が難しく断念したり、土地の学芸員に尋ねても分からないまま通り過ぎてしまったり、完全に道が無くなっていたところもあった。
倶利伽羅峠では友の助けがあり、又今回も木の芽峠下のトンネル近くまで車利用、そこから約10km下り敦賀に着いた。 誠に残念だが私は芭蕉の奥の細道をほぼ歩いたが完歩は出来なかった、正しくは完歩への挑戦である。

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敦賀に至る山間を歩く。

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江戸時代の板取宿番所、茅葺家屋そして幕末水戸の天狗党を指揮した武田耕雲斎が投降した本陣跡を見学。

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北陸トンネル列車火災事故(昭和47年)の慰霊碑で手を合わせた。

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気比では北陸道総鎮守、越前一乃宮の氣比神宮に参り、芭蕉の句碑を確認した。

◆今日の句:
「月清し遊行のもてる砂の上」
「名月や北国日和定なき」

◆行程:今庄宿→気比→敦賀泊
◆訪問地:武板取宿番所、田耕雲斎本陣跡、北陸トンネル事故慰霊碑、気比神宮、芭蕉句碑
◆経費:タクシー5,870円/飲物340円/昼食700円/宿12,500円//計19,410円


■10月25日(歩11km)
奥の細道の旅も100日(歩き旅94日)になりました。
芭蕉の歩いた距離については2,400kmと書かれていることが多いが、私も含めかつて歩いた人の記録から実際は1800kmが妥当と思う。

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観光は午後1時、気比の松原からスタート。
敦賀湾に面し、背後には市街地が控えている。
日本三大松原のひとつ。

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敦賀湾。緑の松、青い海、白い砂浜のコントラストが美しい。

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海岸沿いを東へ、金ヶ崎の方へ向かう。
鉄道資料館に入ってみると、シベリア経由欧亜連絡切符(敦賀〜ウラジオストク〜モスクワ〜ベルリン)を見つけた。
51年前、横浜から船とシベリア鉄道などで欧州に入った若い頃を懐かしく思い浮かべた。
まさに青年は荒野を目指した!

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その隣は雰囲気のある時計台。
灯台を模しているのかな。

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海沿いを離れ長い階段を登っていくと、金崎宮(かねがさきぐう)がある。
縁結びの「恋の宮」として知られ、織田信長にちなんだ難関突破のお守りも人気があるそうだ。

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その先にあるのが月見御殿跡。
金ヶ崎城の本丸跡とされる展望地だ。
敦賀の最高地点で、昔の武将はここから月を眺めたという。

◆行程:宿→気比の松原→敦賀駅→敦賀泊
◆訪問地:鉄道資料館、赤レンガ倉庫、金ヶ崎城跡
◆経費:洗濯900円/昼食770円/飲物130円/宅配1,130円/宿13,500円//計16,430円


■10月26日(歩26km)
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敦賀の湾岸沿いを北へ13kmの色ヶ浜に向かった。

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色が浜には芭蕉が宿泊した本隆寺がある。

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砂浜を楽しそうに歩く若い外国人を見つけ声をかけた。
若い娘達はパリジェンヌ。
パリの話から始まり彼等の次の目的地の木曽路の話などしながら一時楽しい時間を過ごした。

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敦賀に戻り、敦賀ムゼウム(ポーランド語で資料館)を訪ねた。
リトアニアで外務省の意向を無視、命がけでユダヤ人へのビザを発給し続けた杉原千畝を鮮明に思い出した。

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1920年代のポーランド孤児、1940年代に「命のビザ」を携えたユダヤ難民が上陸した日本で唯一の港が敦賀港だ。

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敦賀港の夕景を見ながら、ひとり良くぞここまで歩いて来たと感慨にひたった。

◆今日の句:
「寂しさや 須磨に勝ちたる 浜の秋」
「浪の間や 小貝にまじる 萩の塵」

◆行程:宿→色ヶ浜→敦賀泊
◆訪問地:本隆寺、敦賀ムゼウム、敦賀港
◆経費:タクシー2,870円/昼食767円/飲物480円/入館料他520円/夕食1,320円/宿6,300円//計12,257円