令和6年10月31日
異常な酷暑に皆が苦しんだ夏。去年より2週間ほど遅れて、今年も嬉しい来客があった。
客の名は、旅する蝶として知られるアサギマダラ。
どこから来てどこへ行くのか、南への旅の途中でフジバカマを目当てに数日立ち寄ってくれる。
その旅は長く、和歌山から香港へ2か月半で2,500kmを旅した記録があるという。
2,500kmといえば335年前、松尾芭蕉が5か月にわたって旅したおくのほそ道もほぼ同じ距離だ(奥の細道むすびの地記念館より。諸説あり)。
この日、ひとつの長い旅が終わった。
東京深川を3月に旅立ち、東北から日本海に出て北陸をめぐり大垣まで、たった独りで完歩を成し遂げた。
30代の屈強な男子でも困難なことを、もともと頑丈でもなくあちこちガタがきている(失礼)75歳が、である。
無謀、論外、非現実と周囲に止められながらも、この旅路にはこよなく旅を愛する心、冒険心、チャレンジ精神、そして人と人のつながりがあった。
知らない町を歩いてみたい
どこか遠くへ行きたい
知らない海を眺めてみたい
どこか遠くへ行きたい
遠い町 遠い海
夢はるか ひとり旅
旅への憧れは、中学生の時に聞いたこの歌から始まりました。
60年以上過ぎた今、国内旅行の集大成として「おくのほそ道」を選びました。
人生は旅なり。旅は出会い、そして旅は夢なり。
人生最終章の旅をしっかり楽しんできます。
2024年3月 青木旅山
その人の名は青木旅山。
私は彼の数ある子分のひとり。
ここではその師をあえて「旅山」と呼ばせて頂きたい。
日に日に春めく3月半ば。
その旅山より、友人たちにわかるように行程をまとめた書面を作ってくれないかとの依頼を受けた。
旅立ちまで
ここに至るまで、旅山には様々な思いや葛藤があった。
実行宣言から始まり、その準備状況や心境はLINEを通じて私にも伝わっていた。
以下はその生の言葉。
2024年元旦:
明けましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願いします。
私は自分が生きた証として私の旅を続けてきました。後期高齢者となり心身の衰えを感じる事が多くなってきた今…
人生最後の長い旅に芭蕉の奥の細道2400kmを選択、チャレンジします。
私の知る限りでは75歳ひとりで歩き通した人はいません。
1月10日:
トレーニングを兼ねて今日から4回目の知多四国巡礼をスタート。
今は奥の細道を歩き通す自信は全くありませんが、一歩一歩の積み重ねで目指す2400km先のゴールに向けての身体造りをします。
2月22日:
10年来世話になっている柔道整体の先生に、身体の緩みが消え筋肉が付いてきた、きっちり間に合わせて来たと褒められました。
1月初めの頃はわずか3kgのリュック、15kmがきつかったが…
おくのほそ道をどうしたら歩けるのか?ずっと考えています。
26日で知多四国の歩き遍路は終わります。今の私には晴れた日で25km、雨なら20kmが限度。後5km延したい..
3月08日:
愈々出発が迫ってきました。
今日から3日間で一般道の100kmウオークを敢行。これが出発前の最後のトレーニングになります。
3月11日:
昨日最後のトレーニングを終了。7kgのリュックを背に
8日桑名~長島31km、9日尾西~稲沢31km、10日岐阜~木曾川35kmを歩きました。
本日治療を受けた柔道整体の先生から体力的に問題無し、実年齢の−30と嬉しい評価を頂いた。
自信を持って歩いて、是非新たな伝説をと激励頂いた。
計画
旅山が歩いてきた四国遍路やヨーロッパのサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路などは宿や休憩所が一定距離に整備され、同じ目的で歩く人との交流もある。
しかしおくのほそ道は巡礼路ではないし、芭蕉が訪れたり句を詠んだりした場所に石碑が点在するだけ。
旅山はまず自力で各地の宿探しをしなければならなかった。google mapに載っていても実際にはもう営業していなかったり場所が全然違っていたり。
足の踏み場もないくらいの資料を部屋中に広げ、旅山はまず第一弾、平泉までの一日約22-23kmの行程を作り上げた。
5月以降はまだざっくりとしているが、お盆前に大垣に到着というのが当初の計画だった。
当初から3回に分けての旅計画であり、春の旅はほぼ予定通りにいった。
しかし5月からの第二章において、旅山は6月後半に高田で旅を中断することになった。
今年の異常すぎる暑さが計画を狂わせたかもしれない。
旅山の疲労や体調を考慮し第三章は10月スタートとなった。
この地図は秋の第三章に向けての最終的な計画である。
ちなみに輪島は元旦の地震からの復興が進んでおらず、今回は見送りとなった。
The Narrow Road to the Deep North
~おくのほそ道
「おくのほそ道」は各国語に翻訳されている。
英語版はThe Narrow Road to OkuやThe Narrow Road to the Deep Northというタイトル。
ディープノース。
ワクワクする言葉だ。
しかし現代の東北には、ヨーロッパの北極圏のように時代を超えた風景が大半というわけではない。
335年前の道はこんな風だったのだろうか。
もちろん、こんなのどかな道ばかりではなかっただろうし昔ながらの苦労はあっただろうけれど、これはどこかに着くことだけが目的ではない、むしろその過程をも味わうような道に見える。
現代において、1時間半で行ける東京から仙台を歩くとはどういうことか。
町に入ればまだいいが、町と町を結ぶ道路は人が歩くことを想定していない車両用の道だ。
東北地方には素晴らしい自然や美しい文化遺産がよく残されているが、点と点を結ぶ「道」は時代と共に変貌した。
かつての「ほそ道」は、もうないのだ。
それだからこそ、苦労して行き着いた先々で出会う風景はどれほど日々の疲れを癒し慰めてくれたことだろう。
体調を崩して寝込んだ時、足の故障に苦しんだ時、満開の桜や映画のロケ地のような風景に出会う時、旅先で触れ合う人々との出会いと別れ。
いつか、旅山の日記を見る人皆が彼と共に旅をしていた。
たまたまこの頁に来られた方のために申し上げておくが、これは一人の旅の日記であり、芭蕉をテーマにした観光案内の要素は薄い。
数々の句碑、石像銅像や記念碑、著名な神社仏閣や文豪の記念館など無数にある名所旧跡のことは(旅山はそれらのほぼ全てを丁寧に訪ねているが)、画像を含めあまり掲載していない。
その代わり、毎日何キロ歩いたか、どこに泊まったか、幾ら使ったかは克明に書いている。
旅山は芭蕉の足跡を辿ることによって、旅山の中の「ほそ道」を歩いた。
ゆえに旅山が見た風景、歩いた道、出会った人々のことを中心にまとめていきたいと思っている。