青木旅山「おくのほそ道」第一章
花の旅 其の三、白河~松島
■4月6日(歩21km)
宿の確保の関係で白河に連泊、明日の歩行調整で矢吹を往復した。
余談だが、数日前に奥州街道を歩く人に初めて出会った。
初老の男性で京都から青春18切符を使い、泊まりは2,800円のインターネットカフェ。
4月10日までに行けるところまで行くと言っていた。
私は概ね大きな風呂のあるホテルや温泉地などを泊まり歩いているが、強者がいるなあと思った。
午前中は休養、11時頃から矢吹へ向けて歩き始めた。
国道4号線を北へ。
天気もいまいち、あまり楽しい道ではないが・・・。
矢吹の町はずれに、旧道の松並木が残っていた。
大名行列や旅人のための日よけと風よけに整備されたそうだ。
現代でもこういう道があると助かるな。
幕末の戊辰戦争における戦死者の墓。
ここ福島でも多くの犠牲者を出した。
誰を祀っているのだろう。
しだれ桜が静かに咲いていた。
◆行程:白河→矢吹→白河
◆訪問地:道成寺の安珍、清姫の安珍の生誕の地
◆経費:飲物120円/昼食950円/列車330円/夕食1,650円/洗濯500円/宿6,500円//計10,050円
■4月7日(歩20km)
矢吹まで戻り、まずは駅の観光案内所に立ち寄った。
ここのスタッフが芭蕉や奥州街道の道筋を詳しく丁寧に、通りまで出て道案内をしてくれた。
親切な対応に気持ちよくスタート、芭蕉ゆかりの地と句碑めぐり、最後は洒落た店で一杯。
最高に楽しい1日になった。
矢吹から北へ2時間ほど歩き、周り道になるが鏡沼(かげ沼)に立ち寄った。
田園地帯の中にひっそりとあり、探すのに苦労した。
鎌倉時代の悲しい伝説の地であり、芭蕉も立ち寄っている。
夫の死を知り身を投げた妻の懐に鏡があり、晴れた日には蜃気楼のような現象が起きると伝えられている。
悲しい伝説が伝わる鏡沼から田舎道を歩き須賀川へ。
芭蕉資料館では館員の方が非常に熱心で好意的、会話も弾んだ。
芭蕉は須賀川の豪商で俳人の相楽等躬を訪ね、屋敷内に住んでいた僧の可伸とも親しくなり8日間この家でお世話になった。
ところで須賀川は円谷英二監督の故郷である。
中心街である松明通りの歩道に、ウルトラマンをはじめ4体が設置されている。
画像は古代怪獣ゴモラ。
須賀川市は人口7万人、かつては宿場町として繁栄した。
2011年の震災で市役所も含め建物の8割が被災したが、6〜7年前に市役所、市民交流センターも近代的な装いで立派に再建された。
通りは静かで落着いた感じで、街灯からクラシックが流れる。
何だかゆっくり飲みたくなり夜は少し洒落た居酒屋に入った。期待以上、楽しい夜になった。
◆今日の句:
「風流の初めやおくの田植うた」
「世の人の見付ぬ花や軒の栗」
◆行程:白河→矢吹→鏡沼→須賀川泊
◆訪問地:鏡沼史跡、芭蕉資料館、市役所
◆経費:飲物130円/列車330円/昼食1,350円/夕食2,860円/宿6,390円//計11,060円
■4月8日(歩28km)
今日は会社の創立記念日。
1977年4月8日、28歳で会社を立ち上げ、48年目を迎えた。
私は60歳で経営を次世代に移管したが立派に後を継いで頂き心から感謝しています。
夢があり世の中に必要とされる会社、常に努力を怠らず更なる高みを目指して頑張って欲しいと願っています。
私は今も夢、目標に向かって歩いています。
奥州街道は約900km、日本一長い街道だった。
芭蕉と曽良の足跡を辿りながらここまで来た。
武神として崇められる平安時代の将軍、坂上田村麻呂ゆかりの田村神社に参る。
本殿(太元明王堂)。
向かって左に上杉景勝ゆかりの桜がある。
雨が激しくなった。
後で見たら、画像に大粒の雨が写っていた。
足元のカタクリの花に慰められた。
毎年、桜と同じ頃に咲くという。
◆行程:須賀川→守山宿→本宮→郡山
◆訪問地:田村神社
◆経費:飲物100円/昼食792円/列車242円/夕食650円/宿8,500円/計10,284円
■4月9日(歩25km)
今日は寒くて終日雨の予報。身体もだるくて厳しい1日になりそうだが二本松へ歩を進めます。
しまいには土砂降りの雨で風も強く、傘はトラックの水しぶきと風避けに代った。
傘ごと吹き飛ばされない様、大地を踏みしめながらゆっくり歩いた。
二本松城手前にある「八千代の松」。
推定樹齢約300年の天然記念物だ。
10年ぶりの二本松城は雨にも負けず満開の桜で迎えてくれました。
嬉しくてリュックの重みも忘れ、傘も投げ出し本丸迄登りました。
その後、雨も小降りとなり元気に鬼婆伝説で知られる安達ケ原の「黒塚」そして高村光太郎の妻智恵子の生家を久しぶりに訪ねた。
高校生の頃、大好きで覚えた「道程」の冒頭、
僕の前に道はない
僕の後に道は出来る
城と桜、歴史と文学散歩の楽しい午後になった。
◆行程:郡山→五百川→二本松泊
◆訪問地:二本松城、黒塚、高村光太郎の妻智恵子の生家
◆経費:列車242円/飲物400円/入場料410円/昼食950円/夕食1,180円/洗濯500円/宿8,200円//計11,882円
■4月10日(歩23km)
芭蕉は郡山の宿がかなりひどかった様で早朝出立して約12里先の福島宿へ急いだ。
私は前日の桜が良かったので、仙台在住のお遍路の友に勧められた福島市郊外の花見山に立ち寄った。
おくのほそ道の旅も22日。福島市に入って500kmに達した。
先ずは無事に東海道492kmの距離を超えられた。
今朝は雲一点無い、まさに快晴。
阿多多羅山が美しい。
気分良く智恵子抄の歌を口ずさみながら福島に向かいます。
東京の空、灰色の空。
本当の空が見たいという。
桜だけでなく花桃、木蓮、レンギョウなどが色とりどりに咲き誇る花見山はまさに桃源郷だった。
阿部家の個人所有だった広い土地に花を咲かせて今に至る。
今は4代目、県の屈指の観光地となり外国人客も多い。
村挙げての接待が印象的だった。
笑い話をひとつ。
花見山で米国の女性と出会った。
花から旅に話が移り、東京からここまで歩いて来たと話したら驚いて是非記念に写真をと言われ、身構えたら何と私の足に焦点を合わせた。
日本人には無い洒落かなと笑った。
◆行程:二本松→花見山→福島泊
◆経費:飲物他401円/昼食950円/バス代250円/宿6,300円/計7,901円
■4月11日(歩22km)
古関裕而記念館→文字摺観音→医王寺→飯坂温泉とめぐった。
途上、福島市出身の古関裕而記念館を見つけ思わず入館。
「高原列車は行く」で始まるビデオを観て懐かしさと同時に長い時の流れを感じた。
歌枕の地として有名な文字摺観音を訪ねた。
平安の世、源融と虎女の悲恋物語で知られ「もじずり石」に源融の面影が浮かんだと言われている。
文字摺観音では芭蕉、子規ら多くの俳人の句碑、そして水芭蕉も見られた。
医王寺は源義経の盾となって命を落とした佐藤継信、忠信兄弟及び父基治、母乙和の菩提寺。
道中、ピンクの桃、桜などを楽しみながら飯坂温泉に着いた。
福島名物の円盤餃子2人前、ワンタン麺です。
体力の消耗が激しいのか食事量は普段の5割増。
◆今日の句:
「早苗とる手もとや昔しのぶ摺」
「笈も太刀も五月にかざれ紙幟」
◆行程:福島→→花桃公園→飯坂温泉
◆訪問地:古関裕而記念館、文知摺観音、医王寺
◆経費:飲物260円/入館料300円/昼食850円/夕食2,250円/宿5,900円//計9,560円
■4月12日(歩17km)
芭蕉も浸かった飯坂温泉発祥の湯の看板が目立つが、おくのほそ道では次の様にかなり厳しく書かれている。
その夜は飯塚に泊まると、宿に灯火もなく、土間に莚を敷いて寝る始末。
蚤や蚊に責められ、外は雷雨がひどくて寝つかれず、持病まで出て散々な状態。
それでも翌朝は気を取り直し、「道路に死なん、これ天の命なり」と口ずさむ。
日本最古の木造建築の共同浴場、鯖湖湯に出かけた。
入浴料は200円、45〜46度と熱い。
中は10人でいっぱいだが風情はある。
道中ピンクの桃の木が綺麗でいっぱい。
福島は桃の出荷高が全国の2割を占めると、友から聞いた。
◆行程:飯坂温泉→桑折→藤田→飯坂温泉
◆経費:飲物250円/温泉代200円/昼食950円/夕食750円/宿5,750円/計7,900円
■4月13日(歩25km)
厳しい峠を越えていよいよ宮城県の白石市へ、というところだったが・・・。
飯坂温泉で連泊、少し気が緩んだかもしれないが、足が前に出ず辛かった。
よほど危うかったのだろう、後からきた車が止まり乗車を勧められた。
そんな中、立ち寄ったカフェで親切にして頂き、お菓子まで頂いた。
おばちゃん達に励まされて元気を受け取った!
道中の桜の美しさにも慰められて疲れを忘れることができた。
観月台公園の桜。
佐藤継信、忠信兄弟の妻が亡き夫の甲冑姿で母の前に立っている。
◆行程:飯坂温泉→藤田→国見町→阿津賀志山→白石泊
◆訪問地:古戦場「阿津賀志山の戦い」、観月台公園、甲冑堂、白石城
◆経費:朝食791円/飲物/600円/列車700円/昼食930円/拝観料104円/夕食1,200円/洗濯450円/宿8,500円//計13,275円
■4月14日(歩32km)
仙台の友に教えて頂いた一目千本桜を観るべく道を急いだ。
中身の濃い充実した1日になった。仙台の友に感謝、感謝!!
白石川の堤の大河原&蔵王桜ライン゙2.7kmを、背景の雪の蔵王連山と桜を交互に見ながら時間を忘れて歩いた。
更に船岡、柴田の桜まつりと続き、凄い人だかりになった。
日本全国あちこちで桜を見てきたが、私の中ではベスト3に入る素晴らしさだった。
ここまで頑張ったご褒美だろうか。
目も眩む花の祝祭だった。
船岡駅前のホテルに荷物を預け、「武隈の松」へ。
土際から二本に別れた松は、数々の名歌を生んでいる。
◆行程:白石→大河原→船岡泊
◆訪問地:船岡城、竹駒神社、武隈の松
◆経費:飲物250円/昼食551円/夕食1,958円/列車242円/宿7,260円//計10,261円
■4月15日(歩24km)
朝、船岡駅の片隅で啄木の歌碑を見つけた。
「汽車の窓はるかに北にふるさとの山見え来れば襟を正すを」
なぜかこの歌が忘れられない。
一方、この画像は「下手くそ選手権」の候補作になりそうだ。笑
昨日は時間が遅くなり本殿が閉められていたので、竹駒神社を再訪。
芭蕉が行けなかった藤原実方の墓を探していた。
中々見つからないまま名取市の増田神社にて参拝、笑顔で私を見ていた人に墓の場所を尋ねたら数km戻った山の麓にあるという。
暑さで迷っていたら、その方が車で案内しましょうか?と言われ言葉に甘えた。
その方は何と増田神社を守る20代目の方だった。
清少納言の恋人?光源氏のモデル?
と言われ陸奥守として左遷された実方は笠島の地で亡くなった。
暑くてへばりながらも、何とか予定通り仙台に着いた。
夜、この道中で大変お世話になった仙台の方と楽しく語り合った。
久しぶりの寿司も酒も旨かった。
◆行程:船岡→笠島→仙台泊
◆訪問地:竹駒神社、藤原実方の墓、増田神社
◆経費:列車242円/飲物250円/昼食880円/夕食2,0570円/宿7,800円//計29,742円
■4月16日(歩19km)
愛宕神社の長い階段を上り仙台市内を一望後、芭蕉が訪ねた薬師堂、榴岡天満宮などを歩いた。
薬師堂の敷地内に芭蕉の句碑あり。
餞別に貰った草鞋に因んで詠んだ句だ。
途中で、13年前の東日本大震災で被災した際、仲間とほんの少し支援した高校の前を通過した。
光原社に立ち寄った。
宮沢賢治が命名、今は民芸品を中心に今年100年の歴史を有する興味深い話を伺った。
仙台駅に最初に降り立ったのは今から56年前、大学生で金もなく駅で寝袋で寝ながらの旅だった。
夏の東北4大祭りを楽しんだあの頃の事は今も鮮明に覚えている。
◆行程:仙台市内散策
◆訪問地:愛宕神社、薬師堂、榴岡天満宮、光原社
◆経費:424円/昼食1,050円/買物1,9276円/夕食8,600円//宿7,000円//計36,350円
■4月17日(歩29km)
昨日は仙台のホテルから歩いて14kmの多賀城市、歌枕で有名な「末の松山」に立ち寄った。
今回の旅で最も関心があったひとつ、多賀城の「壺の碑」の真贋について知りたくてボランティアガイド協会を訪ねた。
何と私は間抜けなんだろう、先月半ばに多賀城碑が国宝に決まったとの事。
多賀城碑が奈良時代の数少ない石碑であり、いつ出来たのかが唯一わかる事が国宝に繋がった。
芭蕉は眼前に千年前と同じ物を観て涙を流した。
今年が創建1300年の節目、南大門他新たな工事が急ピッチで進められている。
九州の太宰府、平城宮と並ぶ「日本三大史跡」の多賀城が脚光を浴び嘗ての姿を再現する日も近そうだ。
喜びに湧く多賀城を後にして塩釜の陸奥国一宮、鹽竈神社に参詣した。
◆行程:仙台から多賀城市散策、仙台泊
◆訪問地:末の松山、多賀城、塩釜神社
◆経費:朝食1,500円/昼食1,050円/飲物他183円/夕食938円/列車342円/洗濯500円/宿7,000円//計11,513円
■4月18日(歩22km)
旅に出て30日目、芭蕉が最も憧れ、訪れたかった松島に予定より1日早く着いた。
芭蕉と同じく塩釜から船で松島に渡った。
雄島は霊場、僧たちの修行の場「奥州の高野」と言われ、沢山の岩窟や石塔があり、又景色も素晴らしかった。
ここでおくの細道に所収された曽良の句碑を見つけた。
「松島や鶴に身をかれほとゝぎす」
因みに「松島やああ松島や松島や」は、相模の田原坊の「松島やさてまつしまや松島や」が誤り伝えられたもので芭蕉とは関係ない。
ウラジオストックから来たというレディースに出会った。
芭蕉ルートの宿が満室で取れなくて、神の見えざる手に導かれる様に海岸線近くを歩き、奥松島の民宿に入った。
◆行程:仙台→塩釜→雄島→松島→奥松島泊
◆訪問地:瑞巌寺、五大堂
◆経費:列車242円/タクシー1,350円/船1,350円/飲物270円/宿9,515円//計12,727円