青木旅山「おくのほそ道」第二章
緑風の旅 其の三、羽黒山~象潟
■5月26日(歩24km)
山を下り鶴岡へ向かう。
途中から残雪の美しい鳥海山(2236m)、月山(1984m)を左右に見ながらゆっくり歩を進めた。
4時間後、鶴岡に入った。
内川乗船地は芭蕉が川船で酒田へ向かった場所。
鶴岡でおくのほそ道を訪ねる60代後半の老夫婦に出会った。
四国から車中泊しながら2回目だそうで、今回は仙台から富山まで行きたいとの事。
お互いに満面の笑顔、嬉しくて暫し会話が弾んだ。
65才ぐらいですか?と尋ねられたので…もう少し上ですと答えた(笑)。
ライン仲間の勧めもありコフィアに行った。
高級感ある雰囲気でメニューは珈琲のみ。
無愛想だが一杯の珈琲を淹れる顔は真剣そのもの。
噂に違わぬ極上の風味、2種類の珈琲をゆっくり楽しんだ。
◆行程:羽黒山→鶴岡→内川→鶴岡宿
◆訪問地:内川乗船地、致道館、鶴岡城、鶴岡駅
◆経費:飲物220円/昼食1,100円/薬2,398円/夕食2,590円/珈琲1,340円/宿6,400円//計14,048円
■5月27日(歩24km)
酒田で芭蕉は多くの門人、知人に歓待されて出羽路での滞在が最も長い43日間に達した。
芭蕉のおくのほそ道では平泉が折り返しで、象潟まで行けば残すは北陸路のみ。おくのほそ道本文では残り三分の一になった。
とはいえ距離的にはまだまだ長い道のり、青木旅山の旅を続けて行く。
一駅西の大山まで列車で移動、そこから20km以上北の酒田に向けて歩いた。
曇り空の中を庄内平野、鳥海山を見ながら歩いていたが途中から雨、酒田に着く頃には大雨に変わった。
◆行程:鶴岡→大山→酒田泊
◆経費:列車190円/飲物120円/昼食980円/夕食770円/充電器4,822円/宿6,421円//計13,303円
■5月28日(歩13km)
酒田がご当地ラーメン日本一になった様で、テレビで取材された川柳食堂に向かった。
店の前に行列、流石テレビの影響は大きいと思ったが何故か外国人が多い。
聞けば横浜から11日間のクルーズで寄港したとの事だった。
午後、雨も小降りになったので、3年ぶりに山居倉庫をはじめ酒田の名所を訪ね歩いた。
日和山公園には芭蕉の句碑を含め、29の文学碑が点在する。
酒田港を望み、晴れた日には最上川と夕日の眺めが素敵だ。
米沢付近を源流とし、山形県のみを流れる最上川。
ここ酒田で日本海に達し、229kmの旅を終える。
◆今日の句:
「あつみ山や吹浦かけて夕すずみ」
「暑き日を海にいれたり最上川」
◆行程:午前中はホテルで休息→酒田観光→酒田泊
◆訪問地:山居倉庫、本間家旧本邸、海向寺、日和山公園
◆経費:宅配1,430円/昼食880円/バス代200円/夕食1,490円/宿6,421円//計10,421円
■5月29日(歩33km)
21日の夜、大石田でズキンときてからずっと腰痛に苦しんでいる。
毎日痛み止めを飲みながら歩いているが、この日はずっと田舎道、昼食場所やドラッグストアを見つけるのに苦労した。
ロキソニンは薬剤師がいない為、貼り薬だけしか買えなかった。
しかし宿に着く頃には雲が晴れ、美しく姿を現した鳥海山が私を救ってくれた。
いつか北海道のニシン漁で巨富を築いた青山留吉の漁場を見学した事がある。
遊佐は彼の故郷、少し遠回りになるが、旧青山本邸に出かけた。
貧しい家に生まれた留吉は24才でひとり海を渡り、幾多の苦難を乗り越え30年後、故郷に豪邸を建てた。
少しづつ雲が切れ、宿に着く頃には全容を現した。
出羽富士とも言われる鳥海山(2236m)。
福島県の燧ヶ岳(ひうちがたけ) 2356mに次ぐ東北ニ番目の山である。
宿にいるのが勿体無くて、その優美な姿を右手に見ながら約2時間歩いた。
◆行程:酒田→遊佐泊
◆訪問地:旧青山本邸
◆経費:飲物149円/入館料400円/薬1,958円/列車200円/宿9,350円//計12,057円
■5月30日(歩27km)
出羽国一の宮の鳥海山大物忌神社。
長い急階段を登り参拝した。
病床にある人達の快復そして無事に大垣まで完歩出来る様、一心に祈った。
海沿いの道から昔の旧道へ入り約3kmの山道を迷いながら歩いたら、また海に出た。
そこは秋田県だった。
夕陽百選の象潟海岸に出かけ形の違う鳥海山を眺めた。
山と海、幸せな1日になった。
◆行程:遊佐→吹浦→出羽国一の宮→出羽二見→→三崎山→象潟海岸→象潟泊
◆訪問地:鳥海山大物忌神社、十六羅漢岩、にかほ市郷土資料館
◆経費:飲物550円/昼食771円/宿8,700円//計10,021円
■5月31日(歩11km)
象潟(きさかた)は芭蕉が訪れた秋田県最北の地。
『おくのほそ道』日光の章で「このたび松しま、象潟の眺め共にせん事を悦び」と記している。
江戸時代は「東の松島 西の象潟」と並び称されていた。
芭蕉は象潟に松島とは対照的な美を見出し、「松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし」と表現している。
その時代の様子は当時の絵でしか見ることができない。
1804年の大地震で湖底が隆起し、象潟は一夜にして陸となった。
史跡「舟つなぎの石」はかつてこの辺りに船着き場があったことを示している。
新たに生まれた沼地に水田が作られ、新田と呼ばれた。
水を湛えた一面の田園はかつての潟湖を思わせ、鳥海山は今も変わらず美しい。
コーヒー好きな私は象潟滞在中、ここに何度も通った。
一階がお土産屋さん、二階が喫茶店になっている。
お世話になった大将。
私より一つ上だがウマが合ったというか、楽しく過ごさせて頂いた。
◆今日の句:
「象潟や雨に西施がねぶの花」
「汐越や鶴はぎぬれて海涼し」
◆行程:象潟観光、象潟泊
◆訪問地:蚶満寺、九十九島めぐり、能因島
◆経費:飲物800円/昼食950円/宿7,900円/計9,650円