青木旅山「おくのほそ道」第一章
花の旅 其の四、松島~中尊寺
■4月19日(歩23km)
mountain
天気が素晴らしいので、大高森山に登る。 山頂から260余の島々と松島湾、背景に蔵王連山、横を見れば野蒜海岸、後には日本三大渓のひとつ嵯峨渓を望む。

bashokita
宿の爺さん、息子夫婦に話を聞いた。
あの震災の日、地域の役員だった爺さんは雪の中で宿にある毛布をすべて配り、皆が高台へ避難するのを見届けた。その1分後に津波が押し寄せ、間一髪で助かったそうだ。

bashokita
ここ東松山市では1100名以上、特にここから数キロ離れた野蒜地区は最も被害が甚大で500人以上が亡くなった。
かつての野蒜駅が今は震災復興伝承館となっている。
駅舎が鉄筋だった為に建物は残ったが、3.7mの高さまで浸水した。

bashokita
間近に見える松は今はわずか、ここから野蒜海岸まで800mは危険地域として居住は許されていない。

bashokita
旧駅舎は震災遺構として残され、辺りは一面野原になっている。
亡くなった方の名前が書かれた復興モニュメントの前で手を合わせた。
強い逆風で押し戻されそうになる中、様々な思いを胸に石巻に向けて歩を進めた。

◆行程:奥松島→野蒜→石巻
◆訪問地:野蒜震災復興伝承館
◆経費:飲物120円/昼食980円/夕食3,630円/宿6,500円//計11,230円


■4月20日(歩25km)
kasnebashi
昨日石巻に入って泊まったホテルの社長が大変親切なので躊躇せず連泊を選んだ。
石巻市社会福祉協議会の会長も務められる人格者で芭蕉の事も詳しい方だった。

nasujinnja
彼のアドバイスに従い、芭蕉も訪れた日和山公園に出かけた。
芭蕉、曽良の像を確認後、石川啄木や斎藤茂吉、山頭火など文学者の歌碑を見つけながら歩いた。

nasujinnja
芭蕉の道は震災の道と重なった。
石巻市は4000人以上の死者を出し宮城県で最大の被災地になった。
この場所へ来た時、テレビで流れていた光景を思い出した。
津波に流され、火災も発生。
雪の降る寒い中白い防寒具を着て避難してきた人達の呆然自失、絶望感を思い起こし強烈な悲しみに襲われた。

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これは震災の1か月前、2011年2月10日に撮影されたものだ。

yoichi
日和山公園を後に気持ちを切り替えつつ芭蕉の歩いた道を北上した。
遥かに続く田圃、そして北上川沿いを黙々と歩いた。
凄い風に悩まされ、夕方から寒さに震えた。

◆行程:石巻宿→日和山公園→のの岳駅→石巻宿
◆訪問地:日和山公園の芭蕉・曽良像、歌碑
◆経費:朝食626円/昼食980円/飲物120円/列車420円/夕食1,540円/宿6,000円//計9,686円

■4月21日(歩24km)
旅行記というより文学作品の「おくの細道」、毎日の道程や宿泊地、天候、時刻などが正確に書かれた「曾良旅日記」。
私はこの二冊の本を携帯、何度も読みながらここまで歩を進めてきた。
曽良旅日記と同じ道、場所を辿る事は、時が移り、道も町も大きく変わりかなり難しく何度も匙を投げた。土地の人に聞いても分かる人は殆どいない、私と同じ様に歩いている人がいれば情報交換も出来るが、誰ひとりいない。

仙台以降平泉に至る迄、芭蕉がおくの細道で書いた句は無い。

nanohana
石巻市は石ノ森章太郎の故郷である。
1995年より「マンガを活かした夢のあるまちづくり」が始まった。

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石巻から登米へ一路北上、その途上にある無人駅、「のの岳駅」。
銀河鉄道が停まるのはこんな駅だろうか。

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菜の花に縁どられた平坦な稲作地帯が続く。

momomatsuri
登米の町中にある津島神社。
※我が故郷、愛知県津島市にある津島神社の末社で、五穀豊穣・無病息災のご利益がある。
◆行程:石巻→のの岳駅→登米
◆訪問地:津島神社
◆経費:朝食609円/列車420円/飲物他111円/昼食1,290円/夕食930円/宿6,700円//計10,060円


■4月22日(歩21km)
nanohana
登米には芭蕉が1泊した記念碑「芭蕉翁一宿之碑」がある。
北上川にあるこの碑を今回訪れることができなかったが、「一関いわいの里ガイドの会」よりお借りし掲載させて頂きます。

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登米から花泉までは約4時間。
今日はどこにも寄らず北へ向かう。
疲労がたまっていたので、比較的歩きやすい道でよかった。

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遂に岩手県に入った。
これ以上分かりやすくウエルカムな看板はないな。

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花泉~一関間は明日ゆっくり歩くため、今日は鉄道で一関に入った。
「世界遺産・平泉の玄関口」と大きな看板に迎えられる。

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一関近辺の芭蕉の道の案内に関し、観光協会を通じて地元のガイド団体「いわいの里ガイドの会 」と連絡が取れ、連休以降の行程について打合せを行った。
第二章おくの細道は一関〜象潟に至る道、奥羽山脈越えの最も厳しい道を覚悟しています。
一関から岩出山に至る50kmは公共交通機関、宿も無い事や途中の山越えはマップアプリも機能せず遭難の恐れ、熊との遭遇も考えられ危険な事を縷々説明されました。
ひとりでおくの細道を歩く人に会うのは初めてと言われ、宮城県北・岩手県南の芭蕉の道に関し、広域でその道を活用し地域おこしに取り組んでいる、「芭蕉の道・案内人協議会」の全面的な協力を頂ける事になりました。

◆行程:登米→花泉→一関
◆経費:飲物100円/昼食1,000円/列車240円/夕食1,600円/宿7,910円//計10,850円


■4月23日(歩19km)
nanohana
鉄道で花泉に戻り、一関まで芭蕉が通った道を辿った。
1時間ほどで「芭蕉行脚(あんぎゃ)の道」の石碑あり。
芭蕉が通った、一関に通じるこの道は日本の道100選に選ばれている。

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断食で他界した至心道士という修行僧を埋葬した場所。
背後の老木は埋葬した後で植えられ、今では一本杉とも呼ばれている。
この辺りから東西5,6kmは滝沢地区と呼ばれ、北上川の支流をはさみ広がる丘陵地帯に無数の史跡、石碑、神社などが点在している。

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さらに30分ほど行くと、道沿いに神社があった。
八幡神社とあるが、一関八幡神社とは異なる。
正確には村名から牧澤(沢)八幡神社といい、秋には松澤神楽が奉納される。
この神社ひとつをとっても、古来より非常に信仰厚い地域だったことが伺える。

◆行程:一関→花泉→一関
◆芭蕉行脚の道石碑、至心道士塚、牧澤八幡神社
◆経費:列車240円/昼食424円/夕食930円/宿7,910円/計9,504円

■4月24日(歩19km)
第一章の旅の最後に、藤原4代が栄華を極めた平泉、中尊寺に向かった。

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老杉が道の両側を取り囲む月見坂をのぼり、弁慶堂、中尊寺本堂を経て金色堂に至った。

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今年は金色堂建立900年という大きな節目に当たる。
また2026年は、奥州藤原氏の初代当主でその黄金時代を担い源義経を庇護した藤原秀衡の没後900年。
金色堂と義経。いずれも芭蕉に大きなインスピレーションを与えたようだ。

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金色堂に感銘を受けた芭蕉は、名句「五月雨の降り残してや・・」を詠む。

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もう一句は義経終焉の地、高舘の義経堂で詠まれた。

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芭蕉は義経主従が最期を遂げた高舘の城跡に立ち、眼前に拡がる絶景と向き合った。

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そしてこの句が生まれた。

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一関にて、二夜庵跡。

◆今日の句:
「夏草や兵どもが夢の跡」
「五月雨の降り残してや光堂」

◆行程:一関→中尊寺→高舘→一関
◆訪問地:中尊寺
◆経費:昼食1,210円/入場料1,600円/ガイド料3,000円/夕食1,230円/宿7,910円//計14,950円


■4月25日
第一章合計821km。第二章は5月8日スタート予定。
石川啄木、宮沢賢治の世界を少し覗いた後、12日一関に戻り、13日から奥羽山脈越えのおくの細道を歩く予定。
友から指摘された通り「内なる旅」そして「孤独の旅」かもしれません。
又別の友から言われた「命を削る旅」かもしれません。
でも私は旅が大好きです。好きな旅が出来る人生に感謝しています。
人生は旅なり。
旅は出会い。
そして
旅は夢なり。
これまで応援、支えて頂きありがとうございました。

第一章:完。

◆行程:帰省)一関→自宅
◆経費:列車15,370円/昼食460円//計15,830円