■清秋の旅(10/01-10/31) 総括
気持ちを新たに始まった最終章は厳しい暑さからは解放されたものの、雨には悩まされた。
熱を出すようなことはなかったが疲労との戦いがあった。
幾つもの難所を超えつつも日本海は雄大で美しく、長年の友との交流も感慨深い旅になったと思う。
最後は先輩同輩後輩を中心に多くの友人知人が出迎える中、大垣でゴールを切った。

■最終章行程
猛暑の中、正直言えば気持ちが薄れかなり悩んでいましたが、盆前から改めて芭蕉のおくのほそ道約11000字を1時間かけて毎日朗読しました。
おくのほそ道は歌枕の地を訪ねる旅、沢山の和歌は勿論ながら中国の漢詩もいっぱい書き込まれた名作。読めば読む程、興味が深まる、まさに名文であると実感しました。
その後各地の観光協会に連絡、沢山の資料を送付頂き、足の踏み場もない中でひとつづつ調べ・・・。
そしてようやく、春日山から大垣に至る31日間の概ねの旅程を決める事が出来ました。

友人の薦めでおわら風の盆の越中八尾、震災復興中の能登輪島を旅山独自のルートとして加えました。
もっとも芭蕉がおくのほそ道を歩いたのは今から335年前。
今では当時の名所の多くが名前だけとなり、道も無く自然も大きく様変わり、新たな名所も出来ました。
その結果、芭蕉の足跡を訪ねながらもほぼ半分は旅山独自の旅になりました。
最終章は予想外に長く600kmを超え、総計2200kmになりそう。

■出発前夜
旅程表ができた直後、大雨で能登半島が被災しました。
観光地は全滅、飲食店は全て閉鎖と聞き、かえってご迷惑になると思い訪問は断念しました。
17日にはトレーニング中に脚を痛めましたが、懸命に治療に努めほぼ回復。明日は予定通り新潟県上越市の春日山に戻ります。
芭蕉一行は上越市で歓迎され5日間逗留。連日句会を開き、俳諧をたしなむ町人文化が根付いていたと思われます。
中3の孫娘から国語の授業で芭蕉のおくのほそ道を暗記中とラインあり。じいちゃん凄いと感心され、何だか嬉しくなりました。(笑)
明日から3泊春日山に宿泊します。

青木旅山「おくのほそ道」最終章
青秋の旅 其の一、春日山~金沢
■10月1日(移動日)
春日山までの距離は318kmだが、よくも悪くも近くて遠い。
名古屋からは長野又は敦賀で乗り換えて最短で4-5時間。
一方、距離としてはほぼ3倍の盛岡までは4時間だった。

秋晴れの中、車窓からの眺めを楽しむべく快速や普通列車で春日山に向かった。

途中山あいに姥捨山駅を見つけ、かつて案内してくれた友を思った、

一昨年、台風のためこの黒姫で引き返したんだったなーとか。

bashokita
名古屋発10時18分、中津川、松本、長野、妙高高原で4回乗り換えながら17時50分春日山に着いた。

◆行程:名古屋→中津川→松本→長野→妙高→春日山
◆経費:5,250円/昼食1,200円/夕食700円/宿7,900円//計15,050円


■10月2日(歩23km)
kasnebashi
夏の暑さが戻った中、8年ぶりに上杉謙信の春日山城に向かった。

kasnebashi
謙信公が祭神の春日山神社、更に直江屋敷〜毘沙門堂〜本丸への山道を息荒く気合を入れて登り切った。

kasnebashi
大変きつかったが、本丸からの眺めが素晴らしく疲れも吹き飛んだ。

kasnebashi
下りは大井戸〜景勝屋敷〜御成街道〜二の丸〜三の丸〜謙信公銅像前までゆっくり歩いた。

nasujinnja
午後は列車で芭蕉の句碑を求めて高田に向かった。
6月に旅を中断して以来だ。
雨の中を歩いていたら寺、寺、寺。何と63のお寺が軒を並べる寺町に出た。

kasnebashi
正輪寺の手前に面白そうな喫茶店「プー横丁」を見つけ中に入った。

kasnebashi
所狭しと積上げられたいっぱいの本、中でも映画関連の本と有名俳優との写真、ジャズのカセットが目に付く。
色々お話を伺う中でどんどん惹き込まれ興味が沸いてくる。

yoichi
高田世界館は明治末期から続く、日本で一番歴史ある映画館。
20年前の中越沖地震で閉鎖されそうになった時に仲間を結集して引受け現在に繫げた話、小川未明、寺町など高田の事をあれこれ伺った。
寺のご住職であり上越映画鑑賞会の会長でもある素晴らしい方に出会えて嬉しかった。

◆行程:宿→春日山城→高田→春日山
◆訪問地:春日山城(林泉寺、春日山神社、直江屋敷、毘沙門堂、本丸等)、小川未明詩碑、浄興寺、対米館、正輪寺
◆経費:飲物630円/昼食290円/夕食1,050円/傘1,000円/列車500円/宿7,900円//計11,370円


■10月3日(歩24km)
6月に柿崎→直江津→高田と歩いているので列車で直江津に移動、午前中は文学散歩になった。
芭蕉は直江津に滞在中の七夕の句会で「荒海や佐渡によこたふ天河」を披露したと言われている。

nanohana
「安寿と厨子王」の供養塔。

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琴平神社の芭蕉句碑。

nanohana
午後は雨の中、五智国分寺と親鸞聖人の旧跡、越後一ノ宮の居多神社で参拝した。

nanohana
5時間の直江津観光を終え、有間川へ向かう。
一つ失敗、途中で傘を忘れた。
今にも雨が降りそうな空を見ながら国道8号線を急ぐ。
最悪この歳でヒッチハイクも覚悟した。

nanohana
久比岐(くびき)自転車歩行者道は直江津〜糸魚川まで32kmある専用道。
旧国鉄北陸線の線路跡地を利用している。
日本海沿いの8号線の横、海を見ながら安全に歩く事が出来て大変助かり有り難かった。

nanohana
このトンネルも人と自転車専用。

nanohana
海沿いを西に約9km歩き、有間川に着いた。
木造、瓦屋根の駅舎がいい雰囲気の有間川駅。
ホームからは大海原の水平線を望む。

◆今日の句:
「文月や六日も常の夜には似ず」
「荒海や佐渡によこたふ天河」

◆行程:春日山→直江津→有間川→春日山泊
◆訪問地:安寿と厨子王供養塔、琴平神社、五智国分寺、親鸞聖人上陸の地、府中八幡、居多神社
◆経費:飲物460円/昼食858円/雑費132円/列車190円/夕食750円/洗濯350円/宅配1,430円/宿7,900円//計12,070円


■10月4日(歩23km)
nanohana
列車で有間川駅に戻り、そこから能生へ向けて歩き始めた。
昨日紹介した、快適な久比岐(くびき)自転車歩行者道だ。

nanohana
旧国鉄北陸線の線路跡地を利用しており、ところどころ明治・大正時代の面影が残る。
このトンネルなどは「千と千尋」を思わせる雰囲気だ。

nanohana
終日雨予報の為、上下カッパを着て歩いた。
昼近くまでは時々雨がぱらつくぐらいで、不動滝や道の駅で小憩しながら順調に歩を進めた。

nanohana
筒石駅近くで降り出し、あっと言う間に土砂降りの雨。
近くのバス停留所の待合小屋を見つけ、飛び込み待つこと1時間。

nanohana
小降りになりかにや横丁に向かって歩き出したが途中からまた風雨が強くなり傘も役に立たず、見つけたレストランに入った。
店の一番お勧めの海鮮丼とカニ汁だったが・・・。
結局かにや横丁に着いたのは午後3時、客もまばらだった。
予定の白山神社、弁天岩は取り止め、午後4時に能生の民宿に入った。

◆行程:春日山→有間川駅→不動滝→名立→筒石→かにや横丁→能生
◆経費:列車340円/飲物130円/昼食2,310円/買物5,140円/宿9,500円//計17,420円


■10月5日(歩29km)
nanohana
芭蕉が335年前に泊まった旅館玉屋(当時は仕出し屋)を訪ねた。
アポ無しの為、ご主人には会えず玄関の写真だけ撮らせて頂いた。

nanohana
その後昨日とは一転して清々しい天気に恵まれ、14km先の糸魚川駅近くのヒスイ海岸に向かった。

nanohana
漁場傳兵に昼食の予約をした。
岩牡蠣を食べたかったが夏のものと言われ、マダラの白子880円と三宝丼2800円を注文。
昨日とは雲泥の差、極上で最高に美味しかった。

momomatsuri
前夜から漁に出ていた二代目社長もご挨拶に来られ、暫し歓談した。

momomatsuri
食後、近くのヒスイ海岸で翡翠探しに懸命な人達を眺めていた。

momomatsuri
弁天岩ではニュージーランドからの家族4人と遭遇、近くの名立で古民家を270万円で買った話を聞いた。
今ではニュージーランドでも1億円以下で家は買えないとの話を伺い、まさに隔世の感ありと思った。

momomatsuri
夕方、国指定重要文化財の能生白山神社を訪れた。

◆行程:能生を拠点に観光→ヒスイ海岸→青海駅→能生泊
  ◆訪問地:旅館玉屋、弁天岩、能生白山神社 ◆経費:昼食3,680円/飲物517円/列車430円/宿10,520円//計15,147円


■10月6日(歩32km)
かつて北陸道最大の難所と呼ばれた「親不知」を経由し、富山県へ入る。
親不知も大変だったが富山に入ってからは道に迷い、家の敷地内に入ったり道に出るのに柵を越えたりで、暗くなってからようやく宿に着いた。

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日本海沿いを一路西へ、親不知ピアパーク。
ここから先は幾つもの洞門とトンネルを通る難所が続く。

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断崖絶壁と日本海の荒波が旅人を阻み、わずかな波打ち際を駆け抜ける際に親は子を忘れ、子は親をかえりみるいとまがなかったことから「親知らず子知らず」と呼ばれる様になった。
今は車でスイスイ通れるが、歩くとなると話は別。
このような洞門とトンネルを幾つも通らなければならない。

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多くの方から反対されたが、思い切って沢山のトンネル(狭くて歩道無し、危険)を抜けて前進した。

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親不知記念広場(展望台)からは素晴らしい景観が見られ感動した。
が、更に5km先の市振を目指すのか?戻るのか?
少し怖くて、迷ったが…前進した。

nanohana
芭蕉が名句を詠んだ桔梗屋跡。
道の駅市振に着いた時は疲労困憊の極にあった。

nanohana
富山県との県境を過ぎたが、ここからが大変だった。
手許の地図が不完全なのか?私の注意散漫なのか?
境関所、芭蕉句碑は進行方向から外れ、スマホのナビに振り回された。

nanohana
黄昏の宮崎海岸を通り先を急ぐ。

◆今日の句:
「一家(ひとつや)に遊女もねたり萩と月」

◆行程:能生→数多のトンネル→市振→堺→宮崎海岸→朝日町泊
◆訪問地:親不知記念広場、展望台、市振関所跡、桔梗屋、堺一里塚
◆経費:列車550円/飲物330円/昼食1,200円/夕食1,080円/洗濯100円/宿5,500円//計8,760円d


■10月7日(歩26km)
おくのほそ道を歩くに際し、強烈な反対をした人がふたり。
ロンドン時代の友人からは、馬鹿だね!!とひとこと。そして最後には応援してくれた。 昔と相変わらずこんな無謀な事を考え実行に移そうとする私の生き様が大好きだと。
その言葉に大いなる勇気をもらった。
有難きかな、友!!

nanohana
終日雨予報、宿を少し早目に出発した。
13km先の入善町の芭蕉記念碑のみ見学して先を急いだ。

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黒部大橋を渡った頃から大雨になった。

momomatsuri
この辺りは日本海へ注ぐ多くの川に出会う。
芭蕉は殆ど橋の無い川を幾つも越えて行った。
さて皆様には大変ご心配かけているが、私の中でひとつだけ決めている事がある。
たとえ雪や嵐、猛暑になろうとも芭蕉が通った所は必ず歩くことです。

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黒部大橋から約3時間後、魚津のホテルに着いた。
魚津は米騒動発祥の地。
魚津城址などを楽しみにしていたが雨足は弱まる気配を見せず、諦めてホテルでゆっくり過ごした。

◆行程:朝日町→入善町→魚津泊
◆訪問地:芭蕉記念碑
◆飲物228円/昼食720円/洗濯700円/宿6,200円//計7,848円


■10月8日(歩32km)
その歳でこんな滅茶苦茶な事が出来る訳が無い。暴挙だ!!
この旅に猛反対したもう一人、3年後輩の山男からもきつい言葉が投げつけられた。
「青木、やめろ」
失礼にも大先輩の私にラインを通じて発せられた(笑)。
その彼が今では一番の応援団のひとりとなり、雨予報の今日、一緒に歩いてくれる。
彼は富山在住で、とある山の会の会長を務めている。

nanohana
やはり予報通りの雨。
ここ魚津では銀行、米倉などがほぼ当時のまま残っている。
後輩の山男と一緒に、まずは米騒動発祥の地を訪ねた。
彼は全国の山をほぼ登り尽くしているツワモノだが、私に歩調を合わせてくれた。

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芭蕉が泊まったといわれる滑川の旅籠「川瀬屋」辺りに芭蕉の句碑がある。
明和元年(1764年)建立、全く読み取れない。
逆に言えば、全国に多数ある”読める”句碑は皆新しいものだ。

nanohana
ほたるいかで有名な滑川で食べる所が見つからず、居合わせた女性に尋ねたら大変親切であちこち調べてくれた。
歩くには遠いので車でお送りすると言われたが、事情を説明して丁重にお断りした。
旅先で受けるこんな親切がやたら嬉しい。

momomatsuri
そこから自転車道を海を見ながら更に11km歩いて、富山市北部の岩瀬へ向かう。

momomatsuri
岩瀬は明治時代の古い建物が残り、雰囲気のある街並みが人気のスポット。
江戸中期から明治まで、北海道から日本海側を行き来した北前船の寄港地として栄えた。
当時、関西では日本海側のことを「北前」と呼んだことに由来する。

momomatsuri
中身の濃い一日に感謝。
後輩は明日も一緒に歩いてくれるとの事。
有難きかな、友!!

◆行程:魚津→→滑川→富山市岩瀬→富山泊
◆訪問地:米騒動発祥の地、川瀬屋跡、芭蕉句碑
◆経費:飲物1,180円/昼食1,330円/宿8,840円//計11,350円

■10月9日(歩28km)
久しぶりに青空が顔を出した。
この2日間、後輩のおかげで道に迷うことなく楽しむことができた。
友よ、有難う!!

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富山市の宿、鯰温泉を出発して約2時間で射水市の新湊大橋に着いた。
全長3.6km、日本海側最大級の斜張橋だ。

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上が車道、下が歩行者通路「あいの風プロムナード」

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絶景の空中散歩を楽しんだ。

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放生津八幡宮。
大伴家持が創建、境内に家持の歌碑、芭蕉の句碑がある。
13台の曳山が美しい新湊曳山まつりが有名だ。

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「日本のべニス」と言われ内川に架かる12の橋、遊歩道のそぞろ歩きが楽しかった。

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午後は高岡で一昨年国宝に指定された「勝興寺」を初めて拝観した。
境内には大伴家持の歌碑が3つある。

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家持の歌は万葉集の中で一割を超え第一位だが、中でもこの越中高岡で詠まれたものが最多である。
このため高岡には路面電車、町名、学校名など「万葉」と名のつくものが随所にあり、100基を越える歌碑がある。

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最後に「雨晴海岸」から富山湾越しに3000メートル級の立山連峰を望む。

◆今日の句:
「わせ(早稲)の香や分け入る右は有磯海」

◆行程:富山市→新湊大橋→雨晴海岸→越中国分泊
◆訪問地:放生津八幡宮、内川ロマン、高岡勝興寺、義経岩、家持の歌碑、芭蕉の句碑
◆経費:宅配1,430円/昼食3,000円/飲物1,050円/入場料1,000円/夕食2,100円/宿7,300円//計15,880円


■10月10日(歩33km)
nanohana
小矢部市まで22kmまっすぐ歩くつもりが、少し廻り道。
越中一宮気多神社のきつい急階段を上がり、先ず高志(越、こし)の見晴らし台から立山連峰を眺めた。

nanohana
その後はほぼ小矢部川堤防に沿って歩いたが、何ヶ所かで震災の復旧工事が行われていた。

momomatsuri
午後4時頃に宿に着いたが、数km先の埴生護国八幡宮まで歩いた。
木曽義仲が戦勝祈願した事で知られている。

momomatsuri
境内には巨大な源(木曽)義仲騎馬像がある。

◆行程:越中国分→小矢部市泊
◆訪問地:気多神社、高岡市万葉歴史館。→埴生護国八幡宮 ◆経費:朝食980円/昼食660円/飲物130円/タクシー2,700円/雑費22円/夕食1,496円/宿6,600円//計12,588円


■10月11日(車案内)
今日は番外編。
友の車で立山の称名滝、風の盆唄で有名な越中八尾をめぐり一夜旧交を温めます。
明日、金沢まで歩いた後、一度我が家に帰ります。
年齢的に万全な体調は難しいのであまり先送りせず、出来れば15日金沢に戻り、結びの地大垣を目指したい。
多くの方から励ましやご感想を頂き心より嬉しく感謝申し上げます。

nanohana
午前中は富山出身で元社員の強い奨めもあり、立山の称名滝に出かけた。
標高970mの称名平駐車場から1080mの滝見台まで距離1200m、友人の山々の説明に耳を傾けながら登った。
紅葉には少し早かったが、心地よい風もあり快適で滝見台から称名滝を眺めた。

nanohana
その後、立山駅や立山大橋など立ち寄りながら富山市街へ。

nanohana
友おすすめの店できときと(新鮮)な寿司を美味しく頂いた。

momomatsuri
午後からはかつて一緒に会社を立ち上げたこともある友の薦めもあり、越中八尾を散策した。

momomatsuri
1551年に今の場所に建立され、八尾の町の母体となった聞名寺(もんみょうじ)。
毎年9月には「風の盆」行事が行われる。

nanohana
宿は200年以上の歴史を有し大政奉還後の徳川慶喜も宿泊した宮田旅館に落ち着いた。

momomatsuri
夜は居酒屋で地元の方達と盛り上がった。
凄い充実した1日で称名滝や八尾なども素晴らしかったが、何より3人の友情が嬉しく胸に染みた。

◆行程:矢部→立山称名滝→立山駅→富山市内→越中八尾、宮田旅館泊
◆訪問地:聞名寺
◆経費:昼食9,240円/飲物900円/夕食5,210円/宿15,000円//計30,350円


■10月12日(歩25km)
トラブル発生、友に助けられた。
暑さが厳しく、日陰を探しながら金沢駅まで歩きバス、列車を乗り継いで夜遅く我が家に辿り着いた。

nanohana
友人に埴生護国八幡宮まで送って頂き、予定通り倶利伽羅峠を目指してスタート。

nanohana
30分ぐらい歩いた所で突然、両ふくらはぎに痛みが走り慌てた。
悪い事に道も間違え、飲み物も買い忘れた。
近くにいた老夫婦に尋ねたが峠を越えて石川県の津幡駅近くまで行かないと自販機も無いとの事。
差し入れの菓子を頂き、已む無く友に連絡して応援を求めた。

nanohana
このトラブルで1時間が過ぎ、又痛い脚を引きずり峠を越えて金沢まで歩くのは無理と判断。
友の車で峠にある芭蕉の2つの句碑、倶利伽羅峠の火牛の像など慌ただしく見学後、県境まで送ってもらった。

◆行程:八尾→倶利伽羅峠→津幡→金沢→名古屋
◆訪問地:護国八幡宮、芭蕉句碑、火牛の像
◆経費:飲物360円/昼食930円/買物13,262円/交通費5,460円//計20,012円