青木旅山「おくのほそ道」第一章
花の旅 其の二、日光~白河関
■3月29日(歩25km)
今日はものすごい土砂降りで歩くのも大変だった。
芭蕉が泊まったと言われる玉生の石碑などどこにも立ち寄る余裕は無かった。

mountain
午後2時頃には信じられない事に青空が見られ、遥か遠くの雪の山に少し心が癒やされた。

bashokita
芭蕉のおくのほそ道を歩きたいと最初に思ったのは、6年前にイタリアのドロミテ渓谷で出会った御夫婦の話からです。
以後、詩吟の影響もあり大垣の結びの地に何度か足を運んだ。
出発を決めてからわずか3ヶ月で芭蕉関連の本を10数冊読み(乱読)、今は芭蕉のおくのほそ道、曽良旅日記のみ携帯している。

私はここ矢板まで道草しながら10日、芭蕉は何と半分の5日で達している。
芭蕉46歳、曽良41歳の時である。

◆行程:鬼怒川温泉→塩谷→矢板
◆経費:昼食1,276円/夕食540円/洗濯450円/宿8,250円//計10,516円


■3月30日(歩22km)
天気も良く足取り軽く出立しました。
17km先の大田原市の那須与一の郷、那須神社を目指した。
那須与一伝承館でからくり人形などを見た後、昨日と同じ矢板のホテルに戻った。

kasnebashi
途中でおくのほそ道に登場するかさね橋を見つけた。
かつてこの辺りは那須野郷で一面野原。
芭蕉一行が道に迷い途方にくれていると、農夫が馬を貸してくれた。
その子どもが二人、後からついて来る。 姉に名を問えば「かさね」という。

kasnebashi
その名の優美さに、曽良は即興の一句を作った。
「かさねとは八重撫子の名なるべし」

nasujinnja
那須神社は芭蕉が訪れる50年近く前に建造された。
今も残る本殿、楼門が中々良かった。
境内は国指定 おくのほそ道名勝地。

yoichi
那須与一が源平合戦の折りに射落としたという扇。

yoichi
那須与一像。

◆行程:矢板→大田原散策
◆訪問地:かさね橋、那須神社
◆経費:飲物他795円/昼食700円/夕食783円/入場料300円/交通費399円/宿8,250円//計11,227円


■3月31日(歩14km)
少し汗ばむ程の暑い天気になりました。
旅も12日目、山で言えばやっと1合目に達しました。
先ずは前日の那須神社まで戻り、ここから黒羽を目指しました。
芭蕉がおくのほそ道で最も長く逗留した(14日間)大田原市の黒羽に着きました。
芭蕉はこの黒羽で、江戸の門人、黒羽藩城代家老の浄法寺兄弟の歓待を受けました。

nanohana
今夜の宿のご主人が親切で、地元で有名な蕎麦屋かまくらに案内してくれました。

nanohana
近くのホテル花月で将棋の王将戦が行われたと聞き、訪ねてみた。
ホテルのマネージャーによれば、おくのほそ道をウオーキングツアーで来る方は多いが、深川からずっと歩いて来た人は初めて見たとの事。
藤井聡太や芭蕉の話で花が咲いた。

nanohana
その後、観光協会に立寄りお礼と情報収集、黒羽藩主縁の大雄寺から芭蕉の館へ回った。
芭蕉の館では、思わぬ事に館長(元校長)自ら芭蕉が訪ねた玉藻稲荷神社他、奥州街道などを車で案内してくださった。
車中では黒羽や那須連山の話を興味深く伺った。
名古屋に熱心な同好の知り合いが出来たと喜び、終始笑顔の館長だった。

momomatsuri
素晴らしい出会いに感謝、感激の一日になった。

人生は旅なり。
旅は出会い。
そして
旅は夢なり。

◆行程:終日黒羽観光
◆訪問地:大雄寺、芭蕉の館、黒羽城跡、玉藻稲荷神社
◆経費:飲物660円/入場料300円/交通費399円/温泉500円/昼食1,250円/宿(2食)6,600円//計9,709円


■4月1日(歩20km)
nanohana
芭蕉が黒羽滞在中に一番訪れたかったのは深川での参禅の師、仏頂和尚ゆかりの雲巌寺。

nanohana
アップダウンの続く道を11km、きつい歩きになったが、期待に違わぬ厳かで静かな寺だった。

nanohana
バスで戻り、昼食は前日の蕎麦屋かまくら。
上品な婆さんから、疲れが取れると甘酒をご馳走になった。
ところでここ黒羽では3つの小学校が1つに統一され、又日光でも芭蕉の句碑のある小学校が廃校になるとの事。 過疎、少子化問題はかなり深刻ですね。

◆今日の句:
「夏山に足駄を拜む首途哉」
「木啄も庵はやぶらず夏木立」

◆行程:黒羽付近散策
◆訪問地:雲巌寺、修験光明寺跡、常念寺、明王寺
◆経費:飲物270円/昼食1,200円/交通費200円/宿7,420円//計9,090円


■4月2日(歩25km)
nanohana
本来なら午前中はまだ黒羽を散策予定だったが、館長にご案内頂いたお陰で今ゆっくり次の高久宿に向かって歩を進めています。
爽やかな風、目の前には雪の那須岳。
リュックの重みも忘れ歩き旅の幸せに浸っています。

momomatsuri
黒羽から北上、2時間ほどで鍋掛宿に着いた。
ここには芭蕉句碑がある。(画像左端、木の傍)

nanohana
さらに2時間北上し、高久駅付近のホテルに着いた。
ここは那須高原の裾野に当たり、西に向かって標高が上がっていく。
明日は那須湯本温泉(約850m)まで標高差がおよそ500m以上あるが、天気は下り坂傾向にある。
ホテルに早めに着いたので、今日のうちにバス停のある上白沢橋(433m)まで約10km歩くことにした。
画像は途中にある那須街道の赤松林。

◆今日の句:
「野を横に馬牽きむけよほととぎす」

◆行程:黒羽→鍋掛宿→高久
◆訪問地:鍋掛宿の芭蕉句碑
◆経費:飲物917円/昼食700円/夕食1,030円/交通費700円/洗濯代500円/宿7,700円//計11,547円


■4月3日(歩11km)
旅も半月過ぎました。
今朝、6年前夏のスペイン巡礼で前後しながら歩いた女性から(LINE)を頂いた。
世界各国のクリスチャンを中心に沢山の方が集まり、すれ違う時には皆必ずBuen Camino(良い旅路を)と声をかけあった。
私は7月1日から8月1日迄の1ヶ月間、フランス人の道800kmを歩いた。
10km以上、猛暑の中一木も無いひまわり畑を見ながら歩いたあの真っ直ぐな一本道を決して忘れない。
1500mの山で発熱したが気力で下山、35km歩いて辿り着いたあの美しい修道院を決して忘れない。
そして何より、足の痛みに耐えながら歩いている時優しく励ましてくれた沢山の仲間を決して忘れない。
今回の旅日記はスペイン巡礼、そして2年前に四国お遍路で出会った仲間にもお送りしています。
今寛いでいる宿をご紹介頂いた方も四国のお遍路で知り合った方です。

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今日は標高433mの上白沢橋からスタート。
約10km先で標高約850mの那須湯本温泉に向けて歩きます。
約1時間後少しお洒落な店ベル.フルールを見つけた。

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グランプリ、ゴールド賞を受賞したパンを食べたがめちゃくちゃ美味しかった。

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ゆっくり寛いでいたらシェフが挨拶に来て暫し懇談。
私のおくのほそ道にスタッフ共々いたく感動され、ご馳走になった。

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アスファルト道を約400m上り続け、昼頃には那須湯本温泉に着いた。
nanohana
時間が早かったので芭蕉も訪ねた殺生石、温泉神社に出かけた。
殺生石は9尾狐で有名で歌舞伎でも演じられている。
2年前に石が大きく割れた事もあり世界にニュースが発信された。

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温泉神社は、樹齢800年の那須の五葉松が見事だった。

momomatsuri
宿で少し休んだ後、旅館温泉組合の運営する鹿の湯に出かけた。
硫黄泉だがびっくりする程いい湯に私ひとり。
鬼怒川温泉、黒羽の五峰の湯、那須湯本と3つの温泉に入ったが、ここが一番良かった。

◆行程:ホテル→上白沢橋→ベルフルール→那須湯本
◆訪問地:殺生石、温泉神社、那須湯本温泉
◆経費:交通費700円/飲物他1,765円/昼食1,480円/温泉500円/宿(2食)7,300円//計11,745円


■4月4日(歩25km)
nanohana
那須街道を下り、芦野の外れの遊行柳を目指した。

nanohana
途中でステンドグラス美術館を外から眺めながら道を急いだ。

momomatsuri
謡曲でも知られる「遊行柳」。
かつては憧れの西行を始め、多くの歌人が訪れた有名な歌枕の地だ。
「田一枚植えて立去る柳かな」と書いてある。多分。

momomatsuri
柳はまだ芽吹いていないが、やがて美しい木陰をつくるだろう。

momomatsuri
芦野は江戸時代、奥州街道では白河に次いで栄えた城下町であり宿場町であった。
旅籠も42軒あったが、今では湯治場として芦野温泉が一軒あるのみ。
芭蕉は38km歩いて白河の関へ。私はここに泊まった。

◆今日の句:
「田一枚植えて立去る柳かな」
◆行程:那須湯本→黒田原→芦野温泉
◆訪問地:遊行柳
◆経費:飲物180円/昼食1,100円/夕食1,000円/宿11,500円//計13,780円


■4月5日(歩30km)
2つ目の一里塚、白河の関に予定通り到着しました。
しかしながら色々あった。
①道中、コンビニも含めレストランが全く見つからなかった事。
夕方5時半、白川市街に入りやっと食事にありついた。(昼抜き)
➁ホテルの部屋が暑くて眠れず、夜中フロントに電話して部屋を変えてもらった事。
旅にトラブルはつきものとは言え、大変な1日になった。

nanohana
芦野温泉から約10kmの境明神。
芭蕉はここから下野路を後にし陸奥に入った。

私もここから陸奥(みちのく)へ入ります。
多少の高揚感はありますがほっとしたが正直な気持ちです。

nanohana
古代には東山道が都から仙台に走っていたが、江戸時代に入り新たに奥州街道が開かれた。
芭蕉が訪れた頃(1689年)は、どこが白河の関かはっきりせず結局3ヵ所廻ったそうだ。
1800年、白川藩主の松平定信は東山道の国境である旗宿の白川神社を白河の関と確定し、古関磧の碑を建てた。

nanohana
曽良は嘗て衣服を礼装に改めたという故事をふまえ、詠んでいる。
「卯の花をかざしに関の晴着かな」
=古人のように晴着の用意もない身ゆえ、せめては卯の花を頭にかざして関を越える。
◆行程:芦野温泉→白河宿
◆訪問地:白河の関跡
◆経費:飲物他400円/夕食1,000円/宿6,500円//計7,900円